凶悪化する少年犯罪、責任の所在は歪んだ資本主義にある [つぶやき]
野ブタならぬ、脳味噌をプロデュース [つぶやき]
「野ブタをプロデュース」今話題の本、ドラマであるが、全く興味がないので、読みもしないし、テレビも見ていない。私が登校拒否に陥ったのは小学2年、背景の一つに苛めがあった。そう私はいじめられっこであった。2年~5年まで殆ど学校へ行かず大嫌いだった。その頃受けた苛めは凄まじいものだった。肉体的、精神的と私は可也のダメージを受けた。中には助けてくれる友達もいるが、やはり自分の力で乗り切るしか方法はない。人の助けを待っていては苛めから抜け出す事は出来ない。現在も苛めや不登校に陥っている少年少女は多い。彼等は自分の殻に閉じ篭る。大人は傍観しているだけ。人にお願いするのではなく、自分で自分をプロデュースしろ。そうしないといつまで経っても苦労する。虐めが原因で自殺してしまった高校生を知っているが、余りにも思いやりの欠如した現代。優しさとは一体何だろう?一度差し伸べた手を途中で引っ込めるような真似だけはしたくない。
警察官に、逆職務質問してやった [つぶやき]
17歳の時だった。日本デザイナー学院で知り合った長谷山君(現プロデューサー)と、学校の帰りの夜道で職務質問を受けた事がある。「おいっそこの自転車の二人乗り、止まりなさい」後ろからエンジン音を消したパトカーが忍び寄って来た。女の子の話で盛り上がっていたから、全く気がつかなかった。「えー、俺達何にも悪い事してねーぞ?」と思いつつその場で職務質問を受けた。「二人乗りだめだぞ」「はい、済みません」「この自転車お前のか」思いっきり犯人扱いだ。名前と住所を伝え、参ったなーと思いながら自転車を引き摺りながらアパートへと帰った。制服を着て警察官を気取っている偽警察官を時々見かける。そんな時はこっちから職務質問してやればいい。様々な制服があるが、そんな物に惑わされるな。警察官とて同じ人間で、時には良くない事も考えるであろう。不審者は見かけで判断するしかないが、話込むと結構新しい発見や出会いがあったりするものだ。この左の人にこの後声を掛け、2時間近く話し込んだ。彼はそこのお巡りさんよりも博識で、音楽や小説にとても詳しかった。楽譜も書けるし、得意な楽器はキーボード。名刺を渡して帰ってきた。
教会の中心でアーメンと叫ぶ [つぶやき]
日曜日、ブログで知り合った女性に誘われて教会に行ってみた。教会に行くのはこれで2回目だが、最初の教会はグアム島へ旅行に行った時、ツアーに組み込まれていた見学先だった。日曜日ではなかったので、教会の中に人影は見えず観光客(日本人)達の大人しげな声だけが広い空間に響いていた。私はクリスチャンでもなければカトリックでもない。ましてや仏教の信徒でもないが、讃美歌とアーメンの言葉は好きである。アーメンの意味は「真に、かくあれし」というヘブライ語であり、祈りの後には必ず用いる言葉としてキリスト教では欠かせない言葉である。祈りとは人間だけに与えられた特権であり、至上最大の武器でもある。人間はその潜在意識の中で毎日祈っている。この世に生を受けた瞬間母胎の中で手を合わせ祈り続けているのだ。何に対して祈りを捧げていると思うかは個人の判断であり一概には言えない。神に対して祈りを捧げることは神を作った人間に祈っている事になる。神はその昔猿だったこともここで述べておこう。キリストを絶対神とする考え方を否定するものではない。事実を述べているに過ぎない。古代の人間は自然を神としており、光を神とし、暗闇を悪魔とした。人間に第6感が備わっていた時代の話である。人は死が近くなるとあの世から迎えがやってくる。迎えに来る人は(人とは限らないが)一番会いたいと思っている人だ。もしそのような人がいなかった場合誰が迎えに来ると思う?「キリスト」なのである。この話を信用するもしないも貴方次第。自分に矛盾を抱えつつ今日も生き延びたことへ感謝する。
愛は地球を救わない [つぶやき]
詩集がつないだ30年ぶりの同窓会 [つぶやき]
待ちに待った同窓会が30年ぶりに浜松サゴーインホテルで行われた。何としてでも成功させなければと言う思いで過ごしてきた約8ヶ月同窓会を思い立ったのは昨年の9月だった。30年以上も前の名簿を取り寄せ人探しに明け暮れた毎日、最初は一人で始めた名簿作りにも協力者が現れ次第に見つかる人の数も増えていった。途中で挫折する事もしばしばあった。インターネットと電話を駆使して多くの人を探し当てた。今思えばその充実した日々私は活き活きとしていたし、どこから見てもうつ病を患っている人間には見えなかっただろう。苦労して一人見つけた時の喜びは計り知れないものがあった。相手が自分を覚えていなくとも心よく名簿に掲載する事を承諾してくれた時はまさに「やった!」と言う達成感で一杯であった。実行委員メンバーを決めて3月と4月に打ち合わせを行い同窓会開催の通知を発送しどの位の人数が集まるのか不安であった。途中経過の報告が入る度に何度もため息をついた。返信締め切りの5月10日を過ぎても返事のない人も複数いた。私も実行メンバーも最後まで諦めず頑張った。22日直前で発見できた最後の大物12病棟の婦長さんと連絡が取れた時には大感激であった。そうして向かえた開催日、開催2時間前に会場に入り念入りな打ち合わせ、受け付けの準備.。私はただおろおろするばかりであった。体調も今ひとつすぐれなかった事もあったがみんなが力を合わせてここまでやってきたのだ。もっとしっかりしろと自分に言い聞かせていた。13時を過ぎた頃からポツポツと人がやってきた。当時のまんま何も変わってない人、全く名前と顔が一致しない人それぞれである。会場に来る人達もそれぞれ不安を抱えながらの来場かもしれない。それも当然である。何しろ30年という長い年月が経っているのだから。開催時間の14時にはかなり大勢の人達が遥か昔を思い出しながらにこやかに会話をしている。そんな風景に私の心もホッと一安心であった。そして先生や婦長の来場、がっちりと握手を交わし挨拶をした。80歳を超える老体に鞭打ってやって来てくれたのである。一体どれだけ集まったのか正確には把握していないが予想を超える人数であったのは間違いない。開催セレモニーが始まり現養護学校校長の挨拶など、そして私の乾杯でスタートした。名刺交換や写真撮影皆さんへの挨拶や接待、ご馳走を目の前にしながらあちこちと動き回った。そして中日新聞社の取材を受けたりと忙しい。時間はあっと言う間に過ぎ開催終了の時刻、最後は私の詩の朗読で同窓会は終了したが大成功であった。
その牙は常に弱者に向けられるそれが自然界の常識。 [つぶやき]
広島小1少女殺害の犯人が漸く捕まり、安堵の色が広がりつつある中、容疑者が外国人だったという事に世間は驚きを隠せないでいる。現在の日本には様々な国から金を求めて働きに来る外国人が多い。何時頃からこんなに増えたのだろう。日本の企業は日本人よりも賃金を安く抑える為に外国人を雇い入れるようになった。日本に行けば何とかなると思い、大海を渡り多少の夢を抱きつつやって来るが、言葉の壁や風土の違いなど環境の変化で大きなストレスに晒される事となる。孤独の坩堝に陥り、抜け出せなくなる外国人も多いだろう。犯罪者の多くはその矛先が弱者に向けられる。これは自然界を見渡せば当たり前の風景である。人間とて同じ、特別なケースではない。自分がいつどこで犯罪者になるか解らない世の中でもある。
実るほど頭を垂れないお馬鹿さん [つぶやき]
自民党に一票が命取り、残念! [つぶやき]
オウム真理教、観察処分更新?ハァ?ペットじゃねえつうのアホ公安さんよ [つぶやき]
私は個人的に公安委員会に対して恨みを抱いている。忘れもしない、16歳で就職した私をいきなり呼び出し、スパイ扱いした公安。私は暫くの間監視付きの状態だった。オウム真理教は宗教団体か?大殺戮集団を放置したまま見ているだけ?麻原の思うつぼに嵌ったままで一体何考えてるのかね。長引けば長引くほどオウムにとっては有難い結果となる。サリン事件の被害者の気持ちは塵のように消えちまったよ。宗教団体は他にも腐るほどあるが、他の団体はこれ等のことをどう思っているんだろうか。自分たちの宗教が正しく、他を排除或いは誹謗するのもいいが、その前に一人の人間として問題意識を持ったらどう?