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教会の中心でアーメンと叫ぶ [つぶやき]

日曜日、ブログで知り合った女性に誘われて教会に行ってみた。教会に行くのはこれで2回目だが、最初の教会はグアム島へ旅行に行った時、ツアーに組み込まれていた見学先だった。日曜日ではなかったので、教会の中に人影は見えず観光客(日本人)達の大人しげな声だけが広い空間に響いていた。私はクリスチャンでもなければカトリックでもない。ましてや仏教の信徒でもないが、讃美歌とアーメンの言葉は好きである。アーメンの意味は「真に、かくあれし」というヘブライ語であり、祈りの後には必ず用いる言葉としてキリスト教では欠かせない言葉である。祈りとは人間だけに与えられた特権であり、至上最大の武器でもある。人間はその潜在意識の中で毎日祈っている。この世に生を受けた瞬間母胎の中で手を合わせ祈り続けているのだ。何に対して祈りを捧げていると思うかは個人の判断であり一概には言えない。神に対して祈りを捧げることは神を作った人間に祈っている事になる。神はその昔猿だったこともここで述べておこう。キリストを絶対神とする考え方を否定するものではない。事実を述べているに過ぎない。古代の人間は自然を神としており、光を神とし、暗闇を悪魔とした。人間に第6感が備わっていた時代の話である。人は死が近くなるとあの世から迎えがやってくる。迎えに来る人は(人とは限らないが)一番会いたいと思っている人だ。もしそのような人がいなかった場合誰が迎えに来ると思う?「キリスト」なのである。この話を信用するもしないも貴方次第。自分に矛盾を抱えつつ今日も生き延びたことへ感謝する。


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210119

こんにちは
私はカトリック教徒でありながら最近、全然教会へ行っていません。
カトリック教徒の家系に生まれ、幼児洗礼だったので。、自分の意思で
信者になったわけでもないのですが、カトリックの教えや礼拝、信者の
方々は嫌いではないです。
この記事を読んで、来週こそは教会へ行こうと思いました。
by 210119 (2005-12-05 15:11) 

hako

キリスト教会も、イスラムのモスクも、仏教のお寺もそれぞれが巨大なので、宗教のパワーは凄いものだなと、いつも感じます。
ツタンカーメンの遺品を見て、エジプトの王様の我が儘は、宗教以上だったかなと思いました。
by hako (2005-12-05 23:50) 

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