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彼の美声に浜省も拍手を送った。ミッドナイトフライト。 [音楽]

先日聴きに行ったライブハウスにひときわ大きな身体をしたまるで小錦かと思える青年がいた。その日は3人のミュージシャンがステージに立ち生ギター1本で5曲ずつ披露してくれた。その3人目が彼「海老沼努」君もちろんブログに掲載する事は承知済みである。アコースティックの持ち味を存分に発揮した彼のギターテクニックとそのヴォーカルは見事である。最後に浜田省吾を演るというので、路地裏の少年かと思いきや、さすがこの時季にピッタリのミッドナイトフライト。クリスマスソングである。浜省は愛奴の頃から知っていて、拓郎のバックでドラムを叩いていた時期もあった。サングラスを外した顔をいまだに見たことがない。彼の歌声と映像をお届けします。<a href="http://www.flipclip.net/clips/kanbe49/c61a981790b9b4a06e7d480c9acb8d0e/popup"
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ホーリーナイトはラブソング [音楽]

http://www.flipclip.net/kanbe49/93cea898ed200e247fb508b686f8fdd2

家を出たのが5時30分コンサート教会まで1時間はかかる・・・遅刻でした。それでも何とか聖夜には間に合ったので紹介できます。じっくり聴いて下さいね。ところでこのきよしこの夜で一番印象深いのはサイモンとガーファンクルの「7時のニュース」曲が流れるバックにニュースのアナウンスが流れるのですが、その内容が余りにも悲惨なのです。7人の花嫁が虐殺されたという・・・。こんな素敵なラブソングは他にはないと思いますが。私も自宅でギター弾きながら歌っています。さて私の声聞き取れましたか?


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空の彼方にに届け、誕生日プレゼント [つぶやき]

母さん、誕生日おめでとう。69歳になりましたね、私には想像もつかないけれど、きっと素敵なおばあちゃんになっている事でしょう。天皇誕生日だから世間は休日です。天国にも祭日ってあるのですか?死んだ人は歳を取らないと言うけれど、私には貴方への記憶が殆どないから分かりません。雪のように白い肌で産まれたから「雪子」と名付けたとおばあちゃんが言っていました。そのおばあちゃんも随分昔亡くなりましたが、今一緒に暮らしているのでしょうか。28年の間、大変な苦労をして来たのだと思います。家を出て行ったのも父が原因だった。その父でさえ30年前に他界。貴方を苦しめた病気や差別を思うと、薬を飲んでしまった気持ちも分かる気がします。死ぬつもりはなかったのでしょ?ただ苦しみから抜け出したかったんですよね。僕の歌は届かなかったけれど、貴方の歌はちゃんと覚えています。私に出来る事は詩や小説を書くことくらいですが「届かなかった僕の歌」にしっかり貴方は生きています。だからまだ僕は貴方にさよならは言いません。身体ははなくとも心に刻まれていれば生きていることに変わりはないのですから。


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免許更新、うん?自分の頭も更新したら? [つぶやき]

免許の更新に行って来た。場所は一番近くの江東試験場。無事故無違反なのでゴールド、講習30分。ただし、もう2年ハンドルを握っていない。薬を飲んでいる関係で握れる訳がない。ペーパードライバー状態である。車が走る凶器と言われて久しいが、交通事故は絶えず起きている。悲惨な死亡事故も多いが、車が凶器であり、いつ自分が加害者になるかも知れないという気持ちを常に持ち、思いやりのあるハンドル操作をして欲しい。ハンドルを持つ手は貴方の心をそのまま反映する。私の叔父「竹男」は母の後を追うように中学卒業後直ぐに福島へ就職した。16歳だった。朝仕事へ出かける途中交通事故に会い、亡くなった。叔父さんを跳ねたのは50ccのバイク、あの月光仮面が乗っていたスーパーカブ。あんな小さなバイクなのに、打ち所が悪かったのであろう、即死だったようである。自転車であろと車であろうと動かしているのは人間。車に頼った生活の始まりが、社会環境を大きく変えた。歩く事を忘れて便利な物にすがる。その結果ダイエット・・・。自分のおつむの更新も忘れずに。


6本のスチール弦が奏でる音色は心の旋律 [音楽]

7年振りに弦を張り替えた。錆び付いた弦から新品のスチール弦に。昔と違い今では様々なタイプの弦がある事に驚いた。まだ10代の頃はお金も無くて弦を煮沸して何度も使っていた。もちろんその方法は今でも通用するし、かまやつさんから聞いた話である。私の4本目のギターはSヤイリ。あの井上陽水がデビューしたての頃使っていたタイプと同じモデル。これを購入したのは28歳の時。当時はヘビメタ全盛でアコギなど蚊帳の外だった。Sヤイリも倒産してしまい、これは処分品だった。マーチンとSヤイリが並んで飾ってあり、どちらにしようか迷ったが、弾いてみてSヤイリに決めた。これはマーチンD-28をコピーしたモデルだと思う。蒲田で家が焼けた時、ハードケースの中でこのギターは100度を越える熱に耐え切ったのである。ギブソン、マーチン、ギルドなどはいまだに憧れているが、私にとってこのギターは心のよりどころでもある。今年のクリスマスにはこのギターで「赤い鼻のトナカイ」を歌おうと思う。


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最恐心霊写真の主は叔母さんだった。 [つぶやき]

昨年10月父の30回目の墓参りに行った時に写した写真。この日は朝から土砂降りの雨で東名高速も速度制限をしていた為、かなり時間がかかった。この雨ではまともに墓参りなど出来ないだろうと思っていた。藤枝に着いたのはもう午後1時を回っていた。雨は相変わらず激しい。コンビにで弁当を買い、車の中で家内と息子3人で味気ない昼食を済ませる。いい加減に止んで欲しいと心で呟きながら寺へと向かった。すると雨が突然小降りになり始め、寺に到着した頃は止んでしまった。車から降りた時は一滴も落ちて来ない。空には秋雨前線がどんよりと立ちこめている。さあ今のうちに済ませようと墓参りと何時もの恒例の記念撮影。そして車にのった途端雨が激しく降り始めた。不思議な気分であったがその日は一日不思議な現象が続いていた。さて、もうお分かり頂けたと思うが、私の右肩に注目。はっきりと写し出された手。私の肩をしっかり掴んでいる。鑑定によるとどうも若い女性らしい。それもかなり昔に亡くなられている先祖の霊だと言う。心当たりがあった。23歳で亡くなった叔母さんがいて子供の頃とてもよく可愛がってくれた綺麗な女性。鑑定士曰く、これは非常に貴方を心配して守ってくれている守護霊なので大切にしなさいと言われた。この写真は非常に強いエネルギーを放っているので見た人にも良い事が訪れるかも知れないと言っていた。


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ポップ広告の効果 [出版]

平積み、面陳、棚指しと本の置かれるスタイルを一通り経験し、そこで登場したのが、このポップ広告。書店に行ってみると至る所に目がつく。スーパーや百貨店など、書店も同じで目立せる為の方法。私が全く知らない間に、こんなポップが付いていた。「作家」となっている。私が詩を再び書き始めたのは文芸社の担当者が言った一言。「今は書いていないのですか?」これをきっかけに私は激流の如く書き始めた。作家、或いは詩人と私は時に区別はしていない。もの書きは纏めて「著述家」としている。さて、たまった作品500篇を超えるがどうしたものか・・・。


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薬と共に生きる日々 [つぶやき]

綺麗に整理された薬箱を息子が作ってくれた。薬を飲み忘れないようにと心配してくれている。普段は少しも言う事を聞かず反抗ばかりしている小3の息子がある日突然「パパはいこれにいれとけ」と私によこした。表面上では分からなかった息子の愛情に感激した。心臓の薬はワーファリン、ジゴシン、ペルサンチン、ワソラン、ラシックス。うつ病薬はトレドミン、パキシル、ロヒプノール、マイスリー。これらを毎日飲む。この中で絶対に忘れてならない薬が「ワーファリン」この薬心臓が悪い人以外でも飲んでいる方いるのではないだろうか。血栓を防ぐ薬であるが人によって効き具合を調節する必要があり厄介な薬。一ヶ月に一度血液検査をして一番よい状態を保っているか調べなくてはならない。もし日常で鼻血や歯茎の出血、血尿などあれば注意が必要。逆に効き具合が悪いと脳梗塞を起こす。どちらにしても命がかかっている。しかし人間の心理は上手く出来ていてすんなり順応してくれる。このような生活をしているのは私だけではない、世界中に大勢いるだろう。それを考えれば医学の進歩によって生かされている、或いは人々達によって救われている自分を発見するのだ。病気になって初めて分かる世界があった。


刑務所でパンを焼く [つぶやき]

私が子供の頃はコッペパン、ジャムパン、メロンパン位の物だったが、今では様々なパンがあってどれも美味しそうで全部味見して見たくなるほどだ。パン屋さんも工夫を凝らして独自のパンを焼く。そう言えば父が府中の刑務所に服役中、パンを焼く仕事をしていた。パンをどんな風に焼くのか話してくれたものだ。折角パンを焼く技術を身に着けたのだから出所後パン工場にでも勤めればいいものをと思うが世間は冷たい。務所帰りの人間はそうそう仕事にあり付けない。元々仕事嫌いのやくざ者だった父だけに仕事の事は眼中になく毎日酒を浴び飲んだくれていた。パンを見ると時々父の事を思い出すが父のくれた葉書にパンを私に食べさせたいと言う事が書いてあった。結局それは果たせずパンどころか飯もろくに食べさせて貰えなかったが、遠足の時父が作ってくれた大きな丸いオニギリの味は今でも忘れない。どんなご馳走でも愛情がこもっていない料理は旨いとは言えない。見た目だけ綺麗でも作った人の気持ちがやはり一番大事なんだろう。


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見分けが付かない普通の人が変質者だったりする昨今 [つぶやき]

私が子どもの頃はあちこちに変な人がいた。それはそれで子ども心に面白がって遊んでいた。藤枝の町にも結構いて話題にしていたものである。見れば直ぐ変人と分かりそれなりに距離を置いていたが、当の本人は自分を変人だと思っていなかっただろう。病気だったこともあり、こちらが勝ってに変人扱いしていた部分もあった。近頃その区別が全く付かない。普通?に見えても頭の中が異常だったりする。その人の頭の中までは見る事が出来ない。ただ一つだけ言える事がある。「目」は嘘を付かない。これは昔から変わっていない。その人の本質を見抜くには眼をみれば大体分かる。子どもにはその様な洞察力がないので防ぎようがない。親がとにかく子に言い聞かせるしかないのだが、間違った教え方をしてはいけない。子どもの可能性を極端に狭めてしまうからだ。地区の組合、警察などが協力してパトロールを強化するしかないだろう。「火の用心カチカチ」と昔回っていたように。


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35年前に初めて買ったGパンはラッパズボンだった

先日5年振りにジーンズを購入。ブランドは「クリスチャン・オラーニ」自分が今まで履いていたGパンは痩せた事もありブカブカだったので一体自分がどのサイズを履けるのか興味もあった。で、びっくり。なんと28インチ、このサイズを履いていたのは17歳の頃だ。32から一気に28へ。35年前天竜荘で病気療養中だった頃、初めて買ったGパンはラッパズボンで更に裾の糸をわざと解いてふさふさ状態にした。サイケデリック、ヒッピーなどがアメリカから入って来た時代。ベルトは穴が二つある黒いやつ。最近流行っている?ようであるが。17歳になってからようやくブルージーンズも様々なブランドが出てきたがボブソンが中々手に入らずわざわざ浜松まで買いに行った。エドウィン、ビッグストーン、ビッグジョン、マッキャンベル、そしてカラージーンズが流行だした。ホワイトジーンズ、イエロー、ピンク、グリーン、ブラックなど。アイビールックも大流行だった。VAN全盛の時代。街中はヨーロピアンとトラディショナルが真ッ二つに分かれていた。メリハリのある良き時代だったかも知れない。ところでこのGパンだが、既に緩くなって来た。という事はまだ痩せ続けていると思う。


在日朝鮮人(チョンコー)と呼ばれて

15歳の時だった。義務教育を終えた私は、いきなり一冊の手帳を渡された。初めて見る手帳を開いて見ると、坊主頭で学生服姿の自分の写真とその下に名前らしきものが記されていた。「林 清正」リー・セイショウ、初めて聞く名前。何処の誰が付けたのだろう。国籍は「朝鮮」住所は慶尚南道咸陽郡安義面錦川里、現在の韓国である。非常に自然が豊かで環境の良い観光地だと聞いている。祖父は朝鮮半島が分断される前日本に渡って来た。そして山梨県出身の祖母と出会い結婚。祖母には連れ子がいた。激しい差別と偏見。罵声を浴び各地を転々とする流浪の旅が続いた。漸く腰を下ろした土地は静岡の藤枝だった。長女「雪子」が生まれ、穏やかな生活が始まったかに見えた。そして雪子は私の父「信夫」と出会いやがて結婚するも内縁の妻だった。生まれた私は父の籍には入れず苗字を3つ持つこととなった。「ちょせんちょせん馬鹿にするな同じ釜の飯食って何処違う」これが口癖。あぼじと罵られ、チョンコーと馬鹿にされ、小学時代から差別を受けて来た。16歳になり社会に出ると、ある日突然「公安委員会」から呼び出しがあった。狭い部屋に通されると椅子に腰掛けた男が一人私を睨みつけた。人を蔑む視線と猜疑心の塊のような眼。財産・友人・知人など全てのプライバシーを吐き出すしかなかった。まるで尋問だった。指紋をとられ、部屋を出るとき男が一言、「いつも見ている、監視つきだ」。私はスパイなのかと蒼い空を見上げた。


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拡がる耐震偽装、姉歯は氷山の一角に過ぎない

雪印が食卓から消えた問題覚えているだろうか?月日が経つと不思議なもので、人はその時の衝撃を忘れてしまう。と言うよりも忌まわしい事件、事故が頻繁に起こる世の中のサイクルが狂っているのである。この耐震問題だが、民間ですら信用出来ず調査する団体にも手抜きがありこれでは我々庶民は何処へ行けばよいのだろう?やはり自分で納得するまで調べるしか方法はなさそうである。信頼のおける会社かどうか判断するには社員の応対、態度、言葉使いなどを観察すると良い。社員がだめなら当然そのトップもまともではない。社員教育がキチンとされていれば不正問題など起きないはずである。だが、日本のトップに問題ありは国民に問題があるという事を忘れずに。


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初めて見た刺青 [つぶやき]

私の父は極道だった。前科4犯、4回刑務所暮らしを経験している。「初めての旅は府中刑務所だった」の記事を見てもらえれば分かると思う。山口組系の暴力団だったと思う。初めて極道の刺青を見たのは小4の時、勿論父も刺青をしていたが、それほど派手ではなかったので目立たなかった。山口組の幹部ともなるとやはり違う。と言うより極道にはどうしても見えなかった。ゴルゴ13のデューク東郷をイメージして欲しい。そんな感じの人が父の所に尋ねて来た事がある。紳士的で礼儀正しくとにかくかっこよかった。自動販売機の話をしていたようだ。1965年頃なので当時そんな便利なものはない。家の前に置いて欲しいというような会話だった。家にはやくざ者が終始出入りしていた。父が組長ではないのだが面度見がよかったので自然と集まって来るのだ。十数人が集まると決まって博打が始まる。腕まくりをしたその人の腕に彫られていた美しい絵に見とれてしまった。現代の若者はお洒落でタトゥーを入れているが極道のそれは見るものを圧倒する迫力がある。極道の世界も今では管理社会になり普通のサラリーマンと同じになってしまった。任侠の世界はもう見えない。


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初めての旅は府中刑務所だった [つぶやき]

私が初めて東京に行ったのは小学4年生の時だった。その頃はまだ新幹線も開通していなかったので伯父さんに連れられて東海道線の長い汽車の旅を経験した。行き先は東京の郊外にある府中刑務所。父が服役している場所であった。日時や曜日までは思い出せないが前日に藤枝を出発し、東京に着いてから地下鉄を幾つも乗り継いだ記憶がある。こんな暗い所を電車が走っているなんてと驚いていた。東京には三郎という祖父の兄弟が住んでいるらしく伯父さんはその人の家を探し回っていたようだったが結局見つからずもう夜も10時を過ぎていたのでそこら辺で見つけたホテルに泊まった(今思うとラブホテルだったのかも知れない)。ふんわりしたベッドの感触やバスルームに綺麗な花びらが浮いていたのを思い出す。家で寝る石のように固い薄っぺらな布団とは大違いだった。都心から都下にある府中刑務所まではたぶん京王線で行ったのではないだろうか。その頃京王線が存在していればの話ではあるが。府中と言えば競馬で有名なところである。府中に刑務所がある事を知っている人はどれだけいるだろう。父の出所を迎えに行くのはこれが二回目なのである。実は4歳の頃祖母と一緒に静岡刑務所へ迎えに行った事があるが4歳と幼い記憶なのでおぼろげながらに憶えているだけであるが、二度目の出迎えは鮮明に脳裡に焼き付いている。子どもの目からみればそれは城門の聳え立つ高い塀に見えた。刑務所の入り口までは広い公園になっていて私はそこで一人待たされた。子どもは刑務所の中には入れないのである。一体何時間待っただろう。天気がよかったので公園に生い茂る樹木の下で飛び回る虫たちの姿を見つめながら時間が過ぎるのを待った。公園内を掃除している清掃員のおじさんが声を掛けて来たが内容は忘れてしまった。こんな所に小さな子どもがいる事自体が不思議でありよほどの事情があったのだろうと思ったかもしれない。随分長い時間を待たされてようやく大きな刑務所の門が開いた。私はそれをかなり離れた距離から見詰めていた。最初に叔父さんの姿が現われ、その後に父の姿が見えた。父は少し笑っていた。本当ならここでドラマのように父に向かって走り出し抱きつくシーンを思い起こすだろうがそんなテレビドラマのよな劇的な風景とは裏腹に父との会話は全くなかった。出所する時刑務所からわずかだが現金が支払われる。服役中は誰でも労働するわけだからそれに対する報酬がでるのであるが、それは本当にわずかな金額で刑務所から故郷に帰る交通費と飲食代程度のものだった。幼い私としては折角東京まで来たのだからせめて東京タワーに登ってみたかった。帰りは午後から雨になり静岡行きの汽車も満員で座る事が出来ず乗車口の所で立っていた。通り過ぎる雨に煙る薄暗い空に東京タワーが天を突き刺して立っていた。同じ乗車口に居た綺麗なお姉さんが私にパンをくれた。お腹の空いていた私にとっては有り難い思いがけないご馳走だった。パンに喰らいつく私を見て父が優しくお礼を言えよと言った。


本当のクリスマスツリーは心の中に育つ神様からの贈り物 [つぶやき]

12歳の時、初めてクリスマスツリーを見た。場所は天竜荘13病棟の食堂だった。天竜市内の高校生たちが病気見舞いという事で慰問に来てくれた。その時歌ってくれたのが「赤い鼻のトナカイ」だった。今でもその時の様子を覚えている。確か4,5人の男女がギターを弾きながら歌ってくれた。食堂に来られない重症患児たちは個室で聴いていただろうか?サンタクロースは人を選ばず誰にでも平等にプレゼントを置いて行く筈。どんな家にも必ずクリスマスは来るだろうし、子どもも大人も関係なく楽しむものである。キリストの誕生日だとかそういう宗教からは離れて、心に一本のクリスマスツリーを植えてみよう。小さな芽が出て、やがてそれは大きく育ち貴方の心を豊かにしてくれるだろう。そうしたらその種を一つずつみんなに分け与えて行こう。笑顔が待っている世界に手を繋いでみんなで行こうではないか。


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風化させてはならない戦争の爪跡、語り告ぐのは我々の義務である。

B29が日本上空に飛来した時、それを迎え撃ったのが雷電だった。しかしその銀色の巨体には到底歯が立たず、鯨とめだかほどの差があっただろう。真珠湾攻撃が巧妙に仕組まれた罠だとかそんな事はどうでもよい。太平洋戦争も湾岸戦争も同じ殺し合いに違いはない。どんな戦いにもきっかけがあるわけで、それは少年の悪戯だったりと些細な事から始まるもの。戦う必要のある戦争などない。先日水中ウォーキングのプールで80歳の老人と戦争の話を聞く機会に恵まれた。その老人はパレンバンから命からがら、無事帰国出来たという。戦争は憎しみを生み出すのみで、いまだにアメリカへ行けば「ジャップ」と罵られるそうだ。何れ戦争体験者はいなくなり、日本は軍事大国へと向かっている。おそらく「核」を持たらざるを得ない状況になるだろう。武器を持った人間の次のパターンはそれを使いたくなるという単純な心理。弾丸は自分に向けて撃て。


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その時ジョンはマザーと叫んでいた [音楽]

やあ、ジョン。雲のベッドは寝心地いいのかい?早いものであれから25年だよ。もしジョンが生きていたら今頃何してるだろうか?世の中も少しは違っていたかも知れないね。ビートルズをもう一度再結成したりして、ジョージはいないけどポールやリンゴは健在だし。3人でもいいじゃない?小2の時からずっとビートルズを聴いていた。でも初めてレコード買ったのは中学生になってからだった。「ゲットバック」だよ。レットイットビーの意味が分からなくて英語の先生に聞いたっけ。15歳の時「ジョン&ヨーコのバラード」買ったけど、結構好きだったな。「マザー」の時どうしてリンゴをドラムに起用したの?ママ行かないで、パパ帰って来てと振り絞るように叫んでいる。その言葉はそのまま僕に当てはまったよ。この曲作った時ジョンは鬱だった。悩んでいたよね。空から地上を見下ろすと見えるよね。争い事や環境破壊は絶えず、「平和を我等に」と叫んでいた頃が懐かしい。「イマジン」は綾戸智絵が語り継いでいるから大丈夫。天にリクエストしていいかい?「ミスタームーンライト」をもう一度。


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子どもを守れない大人の無力さに溜息しか出ない [つぶやき]

幼い子どもが被害に合う悲惨な事件が相次いでいる。昭和36年に起こった「吉展ちゃん誘拐事件」を思い出した。泉谷しげるがこのドラマで役者デビューしたが、元々足に障害を持っているその姿は犯人像にピッタリだった。昔は金銭目的で誘拐される事件が多かったが、今はその様相は様変わりした。犯人は何れも金銭を要求しては来ない。では一体何が目的なのか?己の欲望のはけ口、ストレス発散それらが無抵抗の子どもに向けられている。この様な歪んだ社会を生み出したのは、我々大人である。その大人たちは子羊のような子どもを守ることが出来ない。こうなったら子どもにも武器を持たせるか?ジャックナイフ?剃刀?まず無理だろう。どんなにパトロールを強化した所でほんの僅かの隙に子どもは狙われるのである。何か大切なものが抜け落ちてしまった現代。それは「手作り」である。母親から教わった手作りの味。父親から教わったキャッチボール。何でもよいが、世の中便利になり過ぎた。その代償が悲惨な事件を産む結果となっている。犯罪の心理にはその背景に孤立した人間像が垣間見える。コミュニケーションが上手く取れない或いは方法が分からない。寂しい大人と呼べない子どもが増えているのである。


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余命一年の宣告 [健康・ダイエット]

平成元年私は余命一年の宣告を受けた。傍らには彼女がいたが俯いていた。聞かなかった事にしよう、何度もそう思ったが心臓は張り裂けそうだった。
心臓とは別に私は冷静だった。今更命の長さを言われた所でうろたえたりはしない。長い付き合いだからそれに比べたら一年なんてと思った。病院の帰り道天を仰いだ。そうか今一人じゃないんだ。人はみな空を見て天というが何処から何処までが天なんだろうか?僕のいるここは天じゃないのかな。別れるかしかないね。「今度の日曜日両親に会って」信じられない言葉が帰って来た。
両親はにこやかに受け入れた。信頼している娘が決めた事だからと任せているようだ。私は逃げたくなった。明日の命さえ約束出来ない男と結婚するか?みな自分が可愛いだろう、保障された将来をみな願っているはず。結婚式の二日後三井記念病院に入院し、一ヶ月後9時間に及ぶ大手術を受けた。薬は手放せないが生きている。生かしてもらっている。私の空間には天があったのだ。


凶悪化する少年犯罪、責任の所在は歪んだ資本主義にある [つぶやき]

新聞やテレビ、マスコミなどで取り上げる時、如何に興味を惹かせるかそれを決めるのがキャッチコピー。普通の少年、優等生、真面目。こんな子がまさかって事になる。誰もが「ええ?」と興味を持つ。それはそれで良いのだが、記事の中身が何もない。事件をそのまま伝えるなら子どもでも出来ます。確かに少年の深層心理みたいなものを分析する心理学者?もどきは沢山いますが・・・。優等生って何?勉強が出来ることなの?少年が凶悪犯罪を犯す背景には腐った資本主義(偏った)があると思う。ストーカーなんて行為はずっと昔からあったし、何も今始まった事ではない。人間の世界だけだと思ったら大間違いで、動物の世界にもストーカーはある。だから特別な行動ではなく誰だってストーカーに成り得る要素は持っている。では凶悪犯罪をどうしたら無くす事が出来るか。昔からよく言うように「読み書きそろばん」これで解決だ。脳の中で一生進化し続けるのが前頭葉。これを鍛えることによって人間本来の姿を取り戻す事が出来る。特にお薦めは音読。本をただ読むだけでなく声を出して読む。これが一番良い。
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ファンタジー文学の原点、指輪物語。 [芸術]

私が指輪物語に出会ったのは13年前の事。当然映画化の話などある筈もない。何故この本を手にしたかというと、実は私ゲームが大好きなのである。パソコンを購入したきっけかもゲームがやりたかったからだ。高いゲーム機となったわけである。当時流行っていたゲームといえば「ドラクエ」「ファイナルファンタジー」もちろんこの両者もコンプリートした。特にRPGが好きである。ただ日本のRPGはいわゆる一本道であり、自由度がない。だから外国のRPGに傾倒していった。その先に合ったのが「指輪物語」旅の仲間であった。PC98は16色しか表現出来なかったが、それでも中々良い味を出していた。さてゲームの内容であるが、これが一向に意味が分からない。とうとう途中で匙を投げてしまった。そして原作を読んでみる事になった訳である。ハリーポッターはともかくとして、この指輪物語を出発点として多くのファンタジー小説が生まれたが、いまだにこの作品を超える物語は登場していない。


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心のノートに押し花を

子どもの頃、四葉のクローバを見つけ教科書の間に挿んでおいた。美しいものを見ると、いつまでも残して置きたいと思う。人は歳を重ね老いて行く。若さと美貌はやはり時の流れには適わない。だから押し花のように自分を残して置きたいと思うことがある。だが、年輪は重ねるごとにまた別の美を生み出すのも事実。眼に見えるものだけが美しさではない。心が感じ取るもの、それこそが極上の美ではないだろうか。


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野ブタならぬ、脳味噌をプロデュース [つぶやき]

「野ブタをプロデュース」今話題の本、ドラマであるが、全く興味がないので、読みもしないし、テレビも見ていない。私が登校拒否に陥ったのは小学2年、背景の一つに苛めがあった。そう私はいじめられっこであった。2年~5年まで殆ど学校へ行かず大嫌いだった。その頃受けた苛めは凄まじいものだった。肉体的、精神的と私は可也のダメージを受けた。中には助けてくれる友達もいるが、やはり自分の力で乗り切るしか方法はない。人の助けを待っていては苛めから抜け出す事は出来ない。現在も苛めや不登校に陥っている少年少女は多い。彼等は自分の殻に閉じ篭る。大人は傍観しているだけ。人にお願いするのではなく、自分で自分をプロデュースしろ。そうしないといつまで経っても苦労する。虐めが原因で自殺してしまった高校生を知っているが、余りにも思いやりの欠如した現代。優しさとは一体何だろう?一度差し伸べた手を途中で引っ込めるような真似だけはしたくない。


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警察官に、逆職務質問してやった [つぶやき]

17歳の時だった。日本デザイナー学院で知り合った長谷山君(現プロデューサー)と、学校の帰りの夜道で職務質問を受けた事がある。「おいっそこの自転車の二人乗り、止まりなさい」後ろからエンジン音を消したパトカーが忍び寄って来た。女の子の話で盛り上がっていたから、全く気がつかなかった。「えー、俺達何にも悪い事してねーぞ?」と思いつつその場で職務質問を受けた。「二人乗りだめだぞ」「はい、済みません」「この自転車お前のか」思いっきり犯人扱いだ。名前と住所を伝え、参ったなーと思いながら自転車を引き摺りながらアパートへと帰った。制服を着て警察官を気取っている偽警察官を時々見かける。そんな時はこっちから職務質問してやればいい。様々な制服があるが、そんな物に惑わされるな。警察官とて同じ人間で、時には良くない事も考えるであろう。不審者は見かけで判断するしかないが、話込むと結構新しい発見や出会いがあったりするものだ。この左の人にこの後声を掛け、2時間近く話し込んだ。彼はそこのお巡りさんよりも博識で、音楽や小説にとても詳しかった。楽譜も書けるし、得意な楽器はキーボード。名刺を渡して帰ってきた。


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地震が来ればかつらも揺れる、貴方の頭は大丈夫?

世の中に偽装している人は多い。人に迷惑を与えないものなら何ら問題ないのだが、最初から騙すつもりの人もいれば、成り行きで偽装せざるを得なくなってしまった場合もあるだろう。日本国自体が偽装していたのでは、その根を根絶させる事など夢に過ぎない。私達は時として自分を偽る時がある。嘘も方便だ。使い方さえ間違えなければ必要なことなのかも知れない。それだけ人間は愚かで弱い生き物だと言えるだろう。


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心に花束を持って [健康・ダイエット]

東京都済生会中央病院に、中央聖書教会の牧師「○○先生」が入院しておられるので、早速お見舞いに行って来た。小雨の降りしきる中、傘も指さずオーバーヒート気味の私の身体には丁度よい冷たさだった。私はこの程度の雨であれば傘を指さない。雨に濡れるのが好きな少し(大分)変わった所がある。雨も天の恵みに変わりなく、私にとっては心地良い。術後間もない先生は意外と元気だった。先生には一度しかお会いしておらず、しかも非常に短い時間だったので、私の事は覚えていなと思った。病室に入りベッドを見ると空だった。あれ?何処に行ったのかなと思いながら病室を出ると、若い看護師さんがやって来て「○○さんは今お風呂に入ってます」と告げた。廊下で5分ほど待つと、ふくよかな顔に銀縁眼鏡の良く似合う先生が私の方に片手を挙げて挨拶してくれた。少し肩で息をしている先生はやはり病人だったが、順調に回復しており、随分と会話が弾んだ。時計を見るともう5時近く。病人の先生に長話しをしてしまい申し訳なく思った。病人の私がこうして花束を持って見舞いに行くのは初めての事。思えば最初に私を見舞ってくれたのは小学6年のクラス全員と千羽鶴だった。そして次々と訪れる見舞い客。今まで多くの方に見舞って頂いたお礼も込めて先生に花束を送った。私に花束は似合わないかもしれないが、病気になって初めて気がつく日常がある。健康な人もそうでない人もみな心に花束を持とう。


養護学校の中心で先生と呼ばれた

私の母校である天竜養護学校が今年で創立50周年を迎える。それにあたり、創立50周年記念誌を作るのであるが、私に詩の創作依頼があった。卒業生である私としては非常に有難い依頼だったので、心良く快諾し、新作として「我が母校」を書いた。そして天竜荘に関連した詩を数点送ったのである。そして先日教頭先生からお礼の電話があった。「神戸先生、この度は素晴らしい作品を送って頂きありがとうございます」いきなり「先生」と呼ばれて驚いた。私、いつから先生になったんだろう?人から先生と呼ばれて悪い気はしない、誰でも嬉しいだろうが、私はまだ先生と呼ばれるほどの者ではなくまだ発展途上の身。世の中に先生と呼ばれている人は星の数ほどあれど、本当の先生は少ない。私は尊敬できる人であれば職業、身分を問わず先生と呼ぶ。最近は先生の少なくなった学校も多いが、先生と呼ばれる以前の自分を振り返る必要と何故先生なのかを再認識する必要があるだろう。天竜養護学校は心に病を抱えている生徒が多いと言う。その生徒たちの励みになってくれればよいのだが。


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教会の中心でアーメンと叫ぶ [つぶやき]

日曜日、ブログで知り合った女性に誘われて教会に行ってみた。教会に行くのはこれで2回目だが、最初の教会はグアム島へ旅行に行った時、ツアーに組み込まれていた見学先だった。日曜日ではなかったので、教会の中に人影は見えず観光客(日本人)達の大人しげな声だけが広い空間に響いていた。私はクリスチャンでもなければカトリックでもない。ましてや仏教の信徒でもないが、讃美歌とアーメンの言葉は好きである。アーメンの意味は「真に、かくあれし」というヘブライ語であり、祈りの後には必ず用いる言葉としてキリスト教では欠かせない言葉である。祈りとは人間だけに与えられた特権であり、至上最大の武器でもある。人間はその潜在意識の中で毎日祈っている。この世に生を受けた瞬間母胎の中で手を合わせ祈り続けているのだ。何に対して祈りを捧げていると思うかは個人の判断であり一概には言えない。神に対して祈りを捧げることは神を作った人間に祈っている事になる。神はその昔猿だったこともここで述べておこう。キリストを絶対神とする考え方を否定するものではない。事実を述べているに過ぎない。古代の人間は自然を神としており、光を神とし、暗闇を悪魔とした。人間に第6感が備わっていた時代の話である。人は死が近くなるとあの世から迎えがやってくる。迎えに来る人は(人とは限らないが)一番会いたいと思っている人だ。もしそのような人がいなかった場合誰が迎えに来ると思う?「キリスト」なのである。この話を信用するもしないも貴方次第。自分に矛盾を抱えつつ今日も生き延びたことへ感謝する。


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これが私の心臓手術画像 [健康・ダイエット]

見たくない人も入るかもしれないが参考に。これが私の中に埋め込まれている人工弁、手術はは約9時間掛かった。本来ならば4時間程度で済むが私は2回目、しかも肥大が激しくパンパンに膨れあがっているため胸の骨を切る時が最も危険。のこぎりが心臓にかすっただけでアウト。肋骨を左右に開いて心臓の動きを止める。動いていたらメスを入れられない。氷で冷やし体温を27度まで下げる。血液を全身に送るため人工心肺を使う。今は知らないが時間制限があって、2時間が限度だった。この間に全てをやり終えないと死ぬ。胸を開くのに2時間、弁を切り取り置き換えるのに2時間。蓋をして肋骨を針金で留める作業などに残りの時間。成功率は85%。オペ中に心筋梗塞になり死に掛けた。血管に空気が入り危なかった。色々あります。グロ過ぎたかな。


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