余命一年の宣告 [健康・ダイエット]
平成元年私は余命一年の宣告を受けた。傍らには彼女がいたが俯いていた。聞かなかった事にしよう、何度もそう思ったが心臓は張り裂けそうだった。
心臓とは別に私は冷静だった。今更命の長さを言われた所でうろたえたりはしない。長い付き合いだからそれに比べたら一年なんてと思った。病院の帰り道天を仰いだ。そうか今一人じゃないんだ。人はみな空を見て天というが何処から何処までが天なんだろうか?僕のいるここは天じゃないのかな。別れるかしかないね。「今度の日曜日両親に会って」信じられない言葉が帰って来た。
両親はにこやかに受け入れた。信頼している娘が決めた事だからと任せているようだ。私は逃げたくなった。明日の命さえ約束出来ない男と結婚するか?みな自分が可愛いだろう、保障された将来をみな願っているはず。結婚式の二日後三井記念病院に入院し、一ヶ月後9時間に及ぶ大手術を受けた。薬は手放せないが生きている。生かしてもらっている。私の空間には天があったのだ。
はじめまして! kimikoと申します。
ブログタイトルに惹かれてお邪魔しました。
>心臓とは別に私は冷静だった。
と言う言葉に・・ちょっと重なる場面が過りました・・。
ワタシは余命の宣告をされた訳ではありませんが、
少し近い状況が訪れたことがありました。
心臓はかなり波打っていましたが、頭の中は妙に冷静‥
(さぁ・・どうする?)が駆け巡っていたような記憶が。
その時以来・・(余命一年としたらどう生きる?)を探しながら
そうたいして変えることの出来ない日常を平凡に送っています。
酔いどれ天使さんが仰っているように、この世に生を享けたものは
「生かしてもらっている」・・という思いを強く懐いたのもそのときです。
ずっと、余命は更新し続けなくては‥ですね! <(_)>長くてゴメンナサイ。
by kimiko (2005-12-08 15:44)
初めまして。cherie_aromaと申します。
トラックバックありがとうございました。
…なんと言っていいのやら、勝手な想像で軽く
「大変でしたね」
なんて言えないです。うまく言葉が出てきません。
わたしは、幸いなことにまだ「余命1年」と言われたことは
ないのですが、ふと、あと少ししか生きられなかったら…と
想像することはあります。
そんな時、とても、動揺してしまいます。
動揺どころか、絶望でマッシロになります。怖い。
詳しいことはわからないし、何を言っても奇麗事に
なってしまうのですが、ただ、酔いどれ天使さんが、
素敵な彼女サンと今、幸せな日々を過ごすことができて、
良かった・・・と心から思います。
何かうまくいえなくてすみません・・・!(>_<)
by シェリー (2005-12-08 16:57)
こんにちは
今からちょうど5年前に悪性黒色腫(ホクロの癌)が発症して
医者に 『5年後生存率26%』 と告知されたマリーです。
摘出手術は成功しましたが、その後、慢性白血病であることも
発覚したのですが、なぜかまだ 生きています。
しかも、結構、元気です(笑)
こんな私に、(しかもバツイチ)プロポーズしてくれた人がこの
5年間で3人ほど現れました。 (すべてお断りしましたが)
人生、まだまだ捨てたものじゃないですね。
お互い、体調を気遣いながら長生きしましょう。
by 210119 (2005-12-08 17:52)
こんにちは,はじめまして.
そしてTBありがとうございます.
余命宣告をお受けになった方のお考えを知ることができ,
深く考えさせられました.
余命.それは宣告されたり,
年をとったりしたときに強く意識することのように感じますが,
実は自身のその時までの期間の事であり,
誰にでもどの瞬間にでも内包している一つの時間.
一週間後の同時間に際に逝く人がいたとして,
一人は事故,一人は宣告を受けていた人とするならば,
その違いは何か?
それは「宣告」と「余命の実感」この2つがあるか無いかだ.
そして,同時に「生」というものを今までとは同じようで
明らかに違うこことから感じながら生きるスタートなのだと・・・
このことに今更ながらに気が付きました.
PS:単なる感想文になってしまいました.
まだうまく言葉に載せられないことをお許し下さい.
by sei71 (2005-12-09 15:28)